不登校のこと わたしについて

アメリカ生活から

 

ちょっと休憩して、アメリカの生活をお伝えしたい。

インターネットもない時代。

異国の地で出会った人たちは本当に暖かく、どれほどの人のおかげで無事に帰国することができたことか。

特に、やっぱり、英語を母国語としない人たちは、お互い、その苦労が分かっているからか、助け合いがあちらこちらであっていた。

愛する隣人たち

アメリカに到着して、一週間だけホテルとレンタカーを日本から予約してきていた。この一週間で暮らしのセットアップを全て終わらなけらばならない。

だが、ホテルに着いてすぐ、フロントに地図をもらいに行った夫が落ち込んで帰ってきた。

「地図くれと言ったら、水でもこぼしたのか、と、モップをくれた」と。そんな私たちだったから、家が決まるまで、かなり苦労した。

空室あり、というから、行ってみたら、ソーシャルナンバーないと貸せないという。(ソーシャルナンバーとは、今の日本でいう個人番号のようなもの)

で、ソーシャルナンバーもらいに行ったら、住所がない人にはナンバーはあげられないという。

もう、どうしたらいいんだ!

全てがこんな感じ。

やっと借りたアパートは、LaJollaPointというアパート。

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ここで出会った人たちは、数え切れない。

中でも、隣人のアリさん家族は、孫のように子供達を可愛がってくれて、泣いていると飛んできて「かわいい、いい子。いい子」と片言の日本語で子供達をなぐさめてくれた。

他にも、隣に住む大学生たちは、子供の誕生日には、ギターを弾きながらお祝いに入ってきてくれたり、

プールでよく会うおじさんは、必ず、子供達に挨拶をしてくれたり。

コロンビアのマザーはいつも私たちにコロンビア料理をふるまってくれた。

子供達の通う小学校は、140カ国からの子供達が通い、その言語といったら、100以上だと先生が言っていた。

そんなにあったんだ〜。

 

日本人同士の、恩送り

本当にネットのない時代の異国暮らしは情報をどれだけ集められるのかが大切だった。

日本人同士も助け合って生きていた。

Moving saleというものがあって、引っ越すときには、みんな家具や荷物を安く売って帰るのだが、我が家もほとんどを中古のMoving saleで揃えた。

そんな時、まず必要だったチャイルドシート。(とっても厳しくて、チャイルドシートに子供を乗せていないと、最高額の罰金が来る。とっても厳しい。日本人の奥さんでこれに引っかかった人は結構多買ったんですよ。容赦なく警官が見たら、すぐに止められます。)

問い合わせた日本人の方は、わざわざホテルまで届けてくれた。(確か足立さんだった。帰国後の住所も決まってないから、と連絡先も教えてくれなかったけど。顔は今でも覚えている)

そして、ナビもない時代、アメリカではトーマスブロス(綴り忘れちゃった)の地図という、本当に小さな道まで乗ってる分厚い冊子、が必需品で、それと住所があるとどこでも行けちゃうという地図まで紹介してくれた。

そして、それを売ってあるところまでも行くことができないことを知っていて、わざわざホテルまで買って持ってきてくれた。

本当にありがたくて、何度も何度もお礼を言っていたら、

「ここではね。一回きりしか会わない人とか、もう会わない人、多いから、恩返しは、次の人にしてね、ってことになっているのよ。だから、田中さんも、ここに慣れたら、また次に来た人にお返ししてね。」

と言われたのです。もうびっくりして。

だって、日本にいると、何か親切受けたら、あ〜お返ししなきゃ。

って思うでしょ。そうか、それが出来ないんだ。って思った。

でも、どこかの誰かにお返ししてくださいね。って素敵だとも思ったんです。気持ちの方向が一対一の往復ではなく、どんどん愛が広がっていく可能性を感じられるから。

そのうち、やっとできた日本人主婦仲間。

代々伝わる地図がありました。

最初に誰かが書いたこの周辺の地図に、いろんな人が、店や、幼稚園や、病院や、お教室。とにかく、母が生活するのに必要な情報がどんどん鉛筆で上書きされているのです。

それを、コピーしたり、ファックスしたりしているものだから、、どんどん字が読みにくくなっていて、

でも、その分、たくさんの人の愛を得て、

もう、心がたっぷりとしみ込んだ地図でした。

そして、子供達に必要な絵本。

これは、送料かかるし、アメリカで買うと高いし。第一、日本語の絵本売っている本屋さんなんて、大都市や、日系企業の多いところのモールにぐらいしかなくって。でも、子供達には読んであげたい。

ということで、帰国時には持って帰れない(送料の問題から)絵本が、これまた、代々伝わっていて、いろんなお宅を回っていました。

私のところにも回ってきて。それはそれは古いものから新しいものまで、いろんな子の名前が書き込まれた絵本があったり。

何人の子供たち、そして、どれだけの母たちの愛がしみ込んでいるのだろうと思うと、一冊一冊が愛おしくて。

また、カステラとか、メロンパンとか、懐かしくて食べたくなっちゃうもののレシピも、材料を揃えられるお店のリスト付きで回っていたり。

もう、ここに住んでいた、たくさんの人たちの愛がどこそこで感じられる生活でした。

そして、もちろん、私もすっかり慣れた頃には、恩を返すつもりで、来たばかりの人たちにお返ししましたよ。

今は、ネットも発達しているから、もうそんなことはないかもしれないなあ。

携帯も、ナビも、ネットもない時代にしか感じられなかったものかもしれません。

 

学校では若干苦労したけど、アメリカの生活は楽しかった。

とにかく、夫が職場で休暇を取りやすいことが一番の違い。

子供の学校行事はもちろんのこと、いろんなところに旅行にも行けました。学校も、その間の日記や数枚のプリントを提出したら出席にしてくれたし、「いいところよいってらっしやい!」何て、喜んで送り出してくれた。

我が家は国立公園巡りが好きだった。

ガソリンは安い。高速はほとんど無料。ホテルはとっても安い。

車に荷物と、お米と水と炊飯器積み込んんで、何日も何日も旅をしました。

アメリカは広いから、いろんな自然が残っていて、

そして、それが国立公園になっているから、保護しながらも、子連れで近くに手軽に行って大自然をそのまま感じることができた。

このたくさんの旅は私にとって大きな大きな宝物となりました。

アメリカもこの広い地球のたった一つの国だけど、でもでも日本の九州のそれも、僻地勤務の村から飛び出した私たちには、とってもとっても広い世界でした。

大地のパワーと、太古からの連綿と続く命の営みに、心が洗われるようでもあり、エネルギーが満ちるようでもあり、そんな、今となっては夢かとも思う、不思議な日々でした。

以下、私の好きだった風景、いくつか。

Brice Canyon national park

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GrandCanyon North rim

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Ardhes national park

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Zion national park

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きっと、過去生で住んでいただろうと思う。大好きで何度も行った
Monument Valley

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季節ごとの滝の姿が美しくてここも何度も行った
Yosemite National Park

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大きなサボテンがたくさん。思いっきり、ベンチの上のサボテンに座って、痛〜い!ってコントみたいなこともあったなあ。
Tuson

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パワースポットとも知らず、心惹かれて何度も行った
Sedonaの街。ここも大好きだった。
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