不登校のこと3 アメリカ生活

アメリカ行こう!うん、行こう!

最初の幼稚園を私の切迫早産ということで休園したのち、無事に月満ちて三人目の赤ちゃんがやってきました。もう二回目ですから、娘は慣れたもの。甲斐甲斐しくお世話してくれます。それに対しで次女は受け入れ難く、ずっと泣いていました。ママがいい〜、って。

その後、3月まで在籍し、少し親子四人で登園してみたりしているうちに3月になりました。

なんと、そこで、夫に転勤の辞令が来て、あっけなく、私たちは、海に囲まれた、龍ケ岳町というところに引っ越しになってしまいました。

一番近いスーパーまで、車で40分!銀行も本屋さんも、その車で40分の町にしかありません。家の周りは、田んぼとその先には海、そして、後ろを振り返ると、山。からすや、かもめ、以外に、人にはほとんど会わないような村でした。

それでも、絶対安静の身が続いた私にとっては、自由に歩ける、というだけで幸せで、日々、子供達とお散歩していました。

夕方港に行けば、ちりめんが大きな大きな釜で茹でてあって、そのアツアツの茹でたてを買って帰り、ご飯にかけて食べたり、その場でお魚をさばいてもらい、ご飯にのせて、海鮮丼にしてみたり。

幼稚園は車で40分のところにしかなくて、どうしようかと考えながらも、一日中、四人でのんびり過ごしていました。

そして、やっと最後の荷物を解いたその日。

夫に、アメリカでの研究の話が来たのです。

若かった私の、

「うん!行こう!」の一言で決定。

こうして、私たち夫婦は、6ヶ月、2歳半、4歳半、の幼子三人と、2個のスーツケースと、片道切符。それだけを持って旅立ったのです。

アメリカの幼稚園でも同じことだった

今のようにインターネットやその他、SNSなどもあまり発達していなかった時代だから(携帯も一部の人のためだけでしたよ)、本当に、限られた情報の中、幼稚園を探しました。

研究施設が集まったその町には、日本人も多く住み、知り合った日本人の方から紹介してもらった幼稚園。

一時間いくら、で自分で登園時間を決めて申し込むタイプ。

ちょうど娘の学年はMiss.Emmaという大きな頼り甲斐のある女の先生で、信心深いとっても懐の大きな先生ということだった。

確かに、そうだった。

他にも、日本人の子もいた。

一緒に入った子は、すぐに慣れた。

不思議に思うかもしれないけど、子供って適応力あるから、言葉わからなくても、すぐに適応できるのです。

今思えば、子供にとって言語ってそんなに大切ではないのかもしれないな。言葉より、他のものからたくさんの情報もらい、感じて過ごしているのだろうな。

渡米後に、朝は、泣いて別れた子が、帰りには、「Hi! Mom!」と言いながら、みんなと一緒に教室から出てくる、そんな風景を何度見たことか。

なのに、なのに、やっぱり、娘はここでも同じことだった。

馴染めない。

そして、それだけではなく、無理して通い続けることにより、

情緒が不安定になる。

やっぱり、同じことだった。

「うちの子、泣いて嫌がるの。どうしよう。」

誰かれ構わず聞いて回る。

メールはあったので、日本の友達に相談する。

「うちだってそうだったよ。でも、そのうち慣れたよ。お母さん変わらな」               と言われているように当時の私は感じた。

「異国の地が合わないんじゃない?親の勝手で連れて行ったからよ」
                       と言われているように当時の私は感じた。
もうどうしたらいいのかわからなかった。

ある日は、無理やり連れて行き、

ある日は家で休憩しようね、と休むことを許し、

ある日は夫が叱りつけながら引きずって行き、

ある日は、お家でいいよ、と言う。

自分の立ち位置をはっきり出来ない私が、一番、娘を混乱させていた。

ある日、迎えに行くと、娘が走ってやってきた。

ズボンがじめっと湿っている。

なんと、オシッコと言えずお漏らしして、そして、漏らしたことも言えず、気づいてもらえず、そのままで一日中過ごし、迎えに行った時には半乾き状態。

どんなに気持ち悪かっただろうか。真っ赤になっていた。

私は、またまた落ち込むばかり。

行った先はカリフォルニア。空は本当に真っ青で、太陽は燦々と照っていたというのに。

そして、その後、娘は、やはり、情緒不安定が続き、今度は、そのあと、ほとんど笑わす、ぼーっとして、

「ピアノに生まれたかったなあ」

「どうして?」

「生きていないから。死なないでいいでしょ。」

と言い始めた。

今、思えば、ちょうど祖父の死にも直面し、また、生や死について考え始める年齢だったかもしれない。

「ミーちゃん。生きていたくないの?」

「うん、大人になりたくない。だって、ママ大変そうだもん。楽しくなさそうだもん。」

またまた脳天が〜んとやられた!

私、全然幸せそうじゃなかったんだ。

毎日毎日幼稚園に行くか行かないか、それしか頭になくて。

また同じこと繰り返してたんだな。

空はこんなに青くて、太陽は燦々と輝いているのに。

娘からもらった宝物2

私自身が、こんな人生が待っているなら、大人になりたいな。生きていたいな。と思ってもらえる日々を過ごすことが何よりの未来に繋がる。

アメリカ生活楽しもう!そう考え直した。七月に渡米し、九月に入園。そして、二月頃かなあ、その頃の話。

でも、相変わらず、子供達三人は、本当に仲良く一日中遊んでいた。

幼稚園に行くこと、さえなければ、本当に楽しい日々なのに。

とにかく2カ所目の幼稚園も3ヶ月で休園した。

Kindergartenという入学前の義務教育機関

に入園したのが、渡米後一年の九月。

アメリカでは、入学前の一年間を各学校に設置されたkindergartenというところで過ごします。

そこでは、学校というところのアメリカと日本の違いに、私は、天と地がひっくり返るほど、そして、目から鱗がなくなってしまうほどに、剥げ落ちてしまいました。

びっくりしたこと!(注!アメリカは州によって法律も違うほど。たまたま私が行った場所で、英語のあまり得意ではない私が体験したことなので、みんながそうだというわけではありません。😓)

1。担任の先生をリクエストできたこと(人数により叶うかどうかはわからないけど)

2。学年が始まって、クラスの雰囲気、先生やクラスメイトとの相性、などにより、クラス編成が変わることがあった。それぞれがリクエストできるようでした。

そんなこんなで始まったkindergarten。

やっぱり、同じこと。

みんな馴染んでいくのに。うちの子だけ、ずっとお付き添い状態。

〜ちなみに、そこでは、親のボランティア大歓迎だったので、お母さんたちが先生のお手伝いしながら、日々、学校の中に入り込んでいました。

私も、下の二人連れて、ほぼ毎日付き添っていました。

アメリカの学校生活を知るのに、とってもとってもいい機会でした。〜

そして、11月ごろ、やっぱり、情緒が不安定に。

相談したところ、先生の回答が、またびっくり。

「まだ準備できていないのよ。来年いらっしゃい。私はここで待っているから」

だったのだ。

よく見てみると、同じクラスにも、ちょっと年齢の大きそうな子がいる。

いろんな国から来ているから、言葉の関係などで大きくなってもこの学年から始める子もいる。

また、もう一回したほうがいいよなね、なんて親や先生が思って、もう一度同じ学年をしている子もいる。

そして驚いたことに、学年の切れ目に生まれて、クラスで一番年下で一年過ごすより、一年待って、いろんなこと出来るようになってから入れたほうが本人の自信に繋がるといって、わざわざ次の年に入学をずらす人さえいたのです。

だから、娘が一旦やめると言っても、また来年ねえ、と気軽な感じでみんなは送ってくれたのでした。

あんなに悩んだことがちょっと馬鹿らしくなるくらいに。

妹と同じ幼稚園に入れてみた

その後、家で過ごしていましたが、一つ下の妹の送迎を一緒にしているうちに、一緒に行きたいと言い出して、先生に相談したら、ウエルカム。ということで、妹と一緒のクラスに通い始めました。

そしたら、まあ、なんとか一年間行けたのです。

週に二日のクラスでしたが。(いろんなクラスがあり、選べました。)

そして、ちょうど1年後、次女がkindergartenに入学にあたり、

昨年お世話になった先生が私も大好きだったので、リクエストして、そして、長女も一緒に二人でそのクラスに入ることになったのです。

スーザンという女の先生でした。

ご自分も子育て中で、子供が病気の時など、学校に連れてきていて、控え室に寝せていたり、と、これも驚きでした。

ボランティアのお母さんたちが看病したり、と、日本ではありえないことも見ることができましたよ。

娘二人は、このスーザン先生のクラスで、楽しく、一年を終えました。

相変わらず、行き渋ったり、家で荒れたり、ということはありましたが、同じクラスに一年間所属し、休みながらもいろんな体験できたことは、家族にとっての喜びの年でもありました。

この後、妹と違うクラスにした頃から、また、始まりました。

行く行かないの日々。

 不登校や行き渋りを未来につなげるお茶会

お子様の不登校や、行き渋りに悩んでいるお母さん!

これって、喜ばしいことなんですよ。

たまには息抜き兼ねて、おしゃれなホテルのカフェで思いを語り合いませんか?

子供にも、親にも、とってもいい機会となりうる今の状況を

お家の中でジメジメ考えずに、オシャレして出てきてください!

私が、親子でワクワクの不登校、伝授いたします!

2月10日(金)10時半から12時

2月16日(木)10時半から12時

博多駅周辺のホテル お申し込みの方にご連絡いたします。

参加費 2000円(飲食代は各自ごふたんお願いします)

また、個別におしゃべり希望の方はご連絡ください。

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