今年は、ずっと考えていた気がします。
おもちゃばこ、という団体の代表をしています。
おもちゃばこは、「障がいがあってもなくても、大人も子供も、おもちゃばこをのぞくときのようにワクワクドキドキ生きていこう」を合言葉に、最初は、5家族くらいで設立しました。
振り返れば、特別支援学校の高等部を卒業して、障がい者の事業所に移った娘の生活が、なんだか、すっかり世間から切り離されたものになってしまって、今から長い人生を家と作業所の往復の同じ繰り返しで生きていくのか、と思った時に、やっぱり、せっかくこの世に生まれたのだから、楽しいこと、嬉しいこと、時には辛いこと、悲しいこと、そんなたくさんの気持ちを感じて欲しい。そのためにも、いろんな人との出会い、出来事との出会い、たくさん出会って欲しい。
そう思って、ずっと居て、そして、いつも何らかのワクワクと出会えるような、いつも新しい風が通り抜けているような、そんな場所があったらいいな、そして、できることなら、そこに、支え合いながらも、一人の自分として生きて行く場所、今の仕組みではグループホームのようなものも、作れたらいいな。
という夢を掲げて作りました。今年で3年になります。
ゼロから形にするのに必死だった2年間。なんとか形が整い、さあ、動き出そう!という時に、私は、行く先を見失いました。
障害って何?障害ってあるの?ないの?
障害は、個性。
障害は心の壁が作るもの。
こんな言葉に違和感がありました。
だって、目の前の子供たちは、苦しんでいる。
心とは別の行動をしてしまう。
眠りたいのに、サイクルによっては眠れない日が多い。
楽しい気分になれない。
どうしても、その食べ物が食べられない!
どうしても、この肌触りの洋服は着れない!
じっといていられない。
そして、ちゃんと座りなさいと怒られる。
どうして買ったのに着ないの?と責められる。
野菜食べないと病気になってしまうよ、と脅される。
眠れない、気分が晴れない。
みんなそうなんだよ、と分かってもらえない。
そして、何より、
友達と遊んでいても、自分だけ違う世界にいる気がする。
見ないでいい光、聞かないくてもいい音、感じなくてもいい心。
そんなものまでひらってしまう。
心が疲れる。
でもその一方、
聞くべきものが聞こえない。見るべきものが見えない。
感じなければならないものが感じられない。
心から一緒にいると感じてみたい。
もう、嫌だ!!
全てがずれてる。
自分の意思とは無関係な心と体に苦しむ子供達を見てきた。
どんなに周りが理解しても、環境を整えても、
自分の心と体が意思とは違っているという苦しみは、
生まれつき持っていて、それは個性とも、作られたものだとも言えないのではないだろうか。
その疑問がずっと離れなくて、障害という言葉についてのいろんな考えを受け入れることができなかった。
障害は(困難)は、現れたり、消えたりする。
そうしながらも、おもちゃばこでは、いろんなことが起こりながらも、子供たちはどんどん大きくなっていきました。
自分の持つ困難に心を閉ざしていた男の子が、その苦しさの後に、
「こんな俺もいいじゃないか。これが俺さ。」
そんな言葉を口に出すようになりました。
ふと吹っ切れたような彼を見て、
あ〜、自分で越えていくんだな、と思いました。
もう、彼にとっては、障害は障害ではなくなったのです。
これは、自分で未来に向かって進んだのです。
周りには出来ることと出来ないことがある。
そう思いました。
そして、きっと、子供たちみんなに、この未来を創る力は生まれた時から備わっているのでしょう。
だとしたら、私たちに出来ることは、その力を発揮できるように支えること。なのかなあ、と。
困難が新たに生まれることもある
そう思ったのは、自分自身の体験です。
この一年は、たくさんの出会いがあり、またおもちゃばこの規模が急に大きくなったのとで、それに伴い、私の最も苦手とする事務や経理のことがとっても大きくなってきました。
今までも、自治会やPTAなどで、会計や広報では周りに迷惑をかけていました。
でも、今回は、それ以上に、自分に出来ないことや、努力はしたんだけど、やっぱり間違ってしまったことが多すぎました。
さらに、大きくなるおもちゃばこの行き先を決めるのにも、何度も何度も迷い、決心し、また迷った。
大切な大切な場所だからこそ、本当にこれでいいのか、と自分に何回も聞いた。そして、自分の心がそうではないと言えば、やっぱり違ったと言わなければならなかった。申し訳ないと思いながらも、自分の意思とは違うことを実行することは出来なかった。
その度に迷惑をかけ、もう毎日が自己嫌悪の日々。
これが私なんだと思い知らされる日々。
今まで、安易に言ってきたなあ、とつくづく思う。
自分らしい、って苦しいな。
迷惑をかけてしまうこともある。
嫌われてしまうかもしれない。
それでも、自分らしく生きることを選ぶって苦しいな。
そのままのあなたでいい、って難しいな。
こんな私。それでも、そのままでいいと言ってくれる人はいる。
でもでも、自分で認めるのは、本当に苦しいことだなあ。
子供たちはすごいなあ
自分らしく生きるために、学校に行かない選択をした子もいます。
機能的に、どうしても人にいろんなことを頼まなければならない子もいます。
それでも、自分らしく生きようと思ったり、そのままの自分を好きで生きている子供たちはすごいなあ。
つくづくそう思います。
子供には本来、このような力があって、
でも、大きくなるにつれ、その力が発揮できなくなってしまうことがある。
そうすると、障害は、いつも姿を現してしまう。
障害を障害ではなくするためには、
外側の環境を整えるとともに、
子供本来の持つ、
自分らしく生きる力、そのままの自分を好きでいる力、を
失うことなく発揮して、
自分で未来を創っていくことが大切だと思います。
そのためには、私たち大人が、自分らしく生きること、ありのままの自分を認めること、大切ですよね。
私の樹は楓、だそうです。
季節によって、色とりどりの葉をつけ、その変化を楽しむ。
そんな、彩りある人生を私も過ごします。