なんだ、そうだったのか。
記念すべきトコトコラジオ第一回のゲストは、ちょうと帰国していた次女。
障害のある姉と過ごしてきた日々を振り返って話をきいてみました。
「私にとって姉は姉で、
家で荒れたり、学校に全く行かなかったり、いろんなことは、それが普通でした。」
私はこの言葉にビックリしました!
どうしても下の2人、弟と妹に負担をかけてきたのではないか、申し訳ないなぁ、という思いがずっとあったから。
もちろん、妹思いの姉であり、ほんとに心配りのある、優しい子だとは思っている。
だけど、やっぱり誰より手がかかったし、小さなときにはお姉ちゃんが荒れたりして怖くないかなぁ、傷ついていないかなぁ、と心のどこかにいつも不安があった。
でも違ったんだ!
そうなんだ。
そうだったんだ。
安心したー!
子どもの心はクリスタルのように透明で、
大人が見えなくなっていることまで、ちゃんとまっすぐな目で見ているんだね。
以下、書き起こし
みか: 田中穂菜美さんをお迎えしております。今日はよろしくお願いします。
田中穂菜美さんはで、アメリカのマサチューセッツ州の大学に通っているんですね。冬休みで日本に帰ってきているということで、ちょっとお話聞きたいなと思ってお呼びしました。今日はよろしくお願いします。
ほなみ:今ご紹介があったように私今22歳なんですけど、二つ上の姉がいてその姉は自閉症で発達障害を持っています。
小さい頃は、みんながいるところではすごく静かで、家に帰った時にそのストレスで爆発する感じで、でもそれでも私にとっては普通のお姉ちゃんという感じでした。
お姉ちゃんは学校にも小学校から行ってなかったんですけど、特に違和感を覚えることもなく、私は学校お姉ちゃんは家、という感じで、それが自分の中では普通な感じでした。
中学校に入ったぐらいの時から、周りに障害がある人に対する差別的な発言をする人とかもいて、私も周囲の目を気にして、自分から発達障害の姉がいるっていうことを言い出せなかったり、そういう話を避けていたという頃もありました。
でも今考えたら、発達障害についてただただ知らなかっただけで、その差別的な発言も悪気があったわけではなかったんじゃないかなっていう風にも考えています。
そして、私の姉は高校に行くまではずっと家にいたんですけど、さっきから言っているように私にとっては普通のことだったんですけど、本人や母は辛い思いをしていたんだろうなっていうことも今になって気づき始めました。
特にずっと家で一緒にいた母は、姉が爆発する時とかもずっと一緒だったので、辛い思いをしていたんじゃないかなと思います。でも母は私や弟には負担をかけないように言って多分計らってくれていたんだと思うんですけど、今、母のブログとかを読んでいると、あの一番激しかった頃に自分にももっとできることがあったんじゃないかなと考えることもあります。
それでも私のお姉ちゃんは、私にとってはもう世界一のお姉ちゃんで、とっても優しいお姉ちゃんでした。
例えば、小学校の頃に一週間に1回か2週間に1回ぐらいフリースクールに通っていたんですけど、その時に多分その毎回100円ずつお小遣いを持って行ってお買い物時間があったんですが、そこで自分のために使わず私に何かお土産を買ってきてくれるようなお姉ちゃんで、買い物に母と行った時とかも、私や弟が好きなもの必ず覚えてくれていて、母が忘れていても買ってきてくれるような、本当に思いやりのある姉です。
発達障害のある姉のおかげで私自身も思いやりがあのあるように育ったと思うし、私もさっきお話に出てた母が関わっていたボランティア団体の「おもちゃばこ」で、よくボランティアさせてもらっていたんですけど、発達障害のあるお子さんとかと触れ合うことでも本当によくびっくりするような発想と出会ったり、とっても元気な子もいたので、私の世界を広げてもらったっていう感じがしています。
姉は、高校から少しずつ自分らしく生きられるようになって、今ではダンスっていう趣味を持っていたり、就きたい職業もあって、どんどん世界が広がっているんですけども、それでも一人で生きていけるようにはまだなっていなくて、姉のように障害があっても自分らしく生きられる世界になればいいなと思っています。Togatherlandの活動は素晴らしいなと思っています。
みか:この話をきいて、あー、ほなみにとってはお姉ちゃんは普通だったんだな、って知って安心しました。いつもお姉ちゃんにばかり手をかけて申し訳ないなってどこか思っていたから。
思えば、子育ては大変なこともあるんだけれども、すごくあったかいものももらった。例えば、お姉ちゃんが今度こんなことできたんだよ、って全員で喜びあるとか。パニックとか何か困ったことがあったとすると、助け合えたり。
家族の絆が強くなった、家族の温かさがより暖かくなったって思います。それって障害がある娘がいたおかげだなってすごく思うんですよ。いなかったらどうだったかなって考える。だから社会の中、会社の中、色んなお店の中、色んな所に当たり前に障害がある人がいるって事は、私はそのまま絆が強くなる、温かいものになる、愛が増える。もしかしたら世界平和のための人類の最終武器じゃないけどもこれしかないんじゃないかっていうくらいの想いでTogatherlandは活動しております。
質問タイム
原田:さきほど、障害のある姉がいることをあまり言いたくないような時期があったっていうの話をされてましたけれども、それが今はあんまり気になっていないということで、そこに何か変化があったと思うんですけども、それはどういう変化だったんでしょうか。
ほなみ:中学生の頃とかはすごいあの周りの目を気にしたりっていう年齢だったと思うんですけどま高校生高校1年生ぐらいで思い切って言ってみたら
周りの反応も結構普通であの結構あのサポートしてくれるっていうか優しい感じだったので、周りの反応で結構救われた感じがします。
原田:言っていたら思っていたようなことではなかった。ということですね。
ほなみ:はい。また、一番辛いのは姉だということに気づけたのだと思います。
姉や母の気持ちになって考えられるようになったんだと思います。
それをきっかけにオープンになっていった。
原田:すごく早いですね。
周りの目が気にならなくなるというのは人として成熟していく過程なのではないかと思うのですが、それは本当に一生それをそんな変化がないような人も多分いっぱいいると思うんで、逆に高校生でその機会があったというのは、なんかうらやましい気もしますね。
郁子:いつもサポートスタッフ見せてもらっているお二人の姿なんだけど、いつもとは違う立場での話をきいて、お母さんから見たお子さんの姿と、お子さんの気持ちが違っていて、でも、そこには大きな愛があったと目の前の会話で感じて感動しています。
質問2
カーネル:そうですねではじゃあひとつだけいろいろ勉強する場っていうのは日本でも出来ると思うんですけどもなぜアメリカの大学に行って勉強しようって思ったのかなっていうそのきっかけがあればちょっと聞きしたいなと思います
ほなみ:もともと医療に興味があるんですけど医学以外にも心理学や教育学にも興味があって、自閉症とか発達障害についてもっと知りたいなと思ったんですけど、アメリカのリベラルアーツカレッジっていうカテゴリの大学があるんですけどその大学では専攻にかかわらずいろんな分野の授業が取れるので、そういう場ならではの幅広い学びをしてみたいなと思ってアメリカの大学を選びました。
みか:お姉ちゃんのために生きて欲しいとは思わない。自分の好きなように来て欲しいって思うんだけどけど、そういう風に自分の気持ちで自閉症のこととか色々勉強したり研究してくれて、より良い未来につながって、優しいものになっていったらすごく嬉しいなと思います。今日のゲストは田中穂菜美さんでしたありがとうございました。
Posted from するぷろ for iOS.