後藤:生まれも育ちも八幡西区です。今は家族5人で暮らしていますはい子供が。
あの何ですかねちょっといろいろ楽しいことやってる家族だなって周りの人には言ってもらってます。
私はちょっと目には見えにくいんだけど、
子供の時から障害があって、生きづらい人生を送ってきました。
それでも、たくさんの方達と出会ってきたし、何よりも自分を表現する演劇に出会ったことですごく救われた部分が大きいです。今日はその話をしてみたいなと思っています。よろしくお願いします。
田中:たった今生きるのが辛いなぁとか、生きて行きにくいなーって思ってる人達ってきっとたくさんいると思うんです。その方たちにとって、郁ちゃんの話は
すごく励みにもなるし、これから僕もこうやって生きていきたいなって希望にもなると思います。
後藤:演劇のいいところは自分じゃない別のものを演じられる所が私にはすごく魅力的でした。見えない障害の方の特性は多種多様でそれぞれ違うと思うんですけど、
私の特性が、入ってきた言葉とかがふわーっと飽和状態になってすぐに出て行ってしまうんですね。
自分の中に留まっていないっていう感じがちょっと強いんですね
頭がいつもぼーっとしてるとか体がだるいという感じが強いのです。
とっても素敵なお話をよんだりとか、会話をしたりしても、留まらずにすぐに出て行ってしまうので不安が大きいのです。
演劇っていうのは、目の前にある台詞をその人の人生をかみしめて語れるっていうところがなんかすごく自分には魅力を感じて。
絵本を読むとかの小説を読むとかも然りなんですが、止まっていないそこのものを、一旦がしっとつかんで、自分の心にしっかりと落として、
そしてそれを表現するということに私はすごく喜びを感じてですね。
やっぱり、どうしてなんで私はこの世に生きているのかなって多分思われてる人はいっぱいいると思うんだけど、
そういう時にこの自分の表現ができるって言う物が見つかった時に、私は、すごく光りが当たったような気持ちになりました。
言葉や身体で心を動かして表現するっていう方法だったんですね。
それをやってる時はすごく生きている実感がわきました。
みなぎるエナジーみたいなものが沸き立つ感じがするんですね。
カーネル:なんかその作業自体が難しそうな感じが聞いてたらするんですけどそれは難しくないですか?
役になりきるって言う段階って難しいような気がしますが。
後藤:役の人の人生を考えて、
この人はどんなとこで生きているんだとか
今は冬で寒いんだろうかとかどんどん感じていくと
それがもう心に響いたり肌に感じたり、
想像の世界っていうのがとっても心地いいんです。
例えば詩の朗読とかでも、
自分がこの世界に入っていく、
それがこの皮膚で感じるほどイメージで
例えば冬だったら、その冷たさを感じるぐらいまでのイメージの世界に入っていく。
その作業の過程っていうのは難しい時もあるんだけど快感でもありますね。
田中:流れていく感覚止まってない感覚を、登場人物になりきって感じることで留まらせることができるということかな。
後藤:そうですね。
演劇は自分と違う人生が何度もできるからいいと言われますよね。それもあるけど、役にはならなくても気にいった詩があれば、それを読むだけでも、その世界に入っていて、幸せだとか悲しさだとかを感じることで、すごく自分が解放されて楽になるんですね。
表現するっていうのはあの人の前で表現するという意味ではなくて。
誰もいなくてもいいですね。
自分を表現するというのはすごくお勧めです。
一人で部屋で読むってことから始めたらいい。
声を出さなくてもその文章をずっと読んでてその世界に入り込んでもいいと思うし。
大好きな曲をBGM にかけながら。
音の効果はすごいですよ。
心が動くんですよ。
自分の心が動いていくことが分かっていて、その目の前の役なら逆にどんどん入って。
詩の世界に入っていける。
それはもう自分だけの世界なので、そこに人がいてもいいし、共感してもらってもいいし、自分だけんでその幸せを味わってもいい。
おすすめです
カーネル:よくちっちゃい子が音楽聞いて、いろんな降りで勝手に踊ったりしますよね。自由に。こんなのも同じようなものですかね。
後藤:そうだと思います。もう自由ですよね。誰になんと言われようと、何も考えずにその場の。
感情で動いているのでも大人でも拍手喝采ですね。
田中:心が動くっていうことがやっぱ生きてるって。ことに繋がっていくからかな。
何かこう今ふと思い出したんだけど
自閉症で言葉もないあまりない東田さんっていう方の書かれた本があって、その方はキーボードを使ってお話をされるんだけど、
その本の中に、自閉症のお子さん達ってオウム返しや、同じ会話を何度も何度も繰り返す困ってるっていう人がいるんだけども、
東田さんによると、それは、その会話をした時の感情をもう1回味わいたくって繰り返しちゃうって。
だから例えばその何かお母さんとお話しした時に寝て嬉しかったから同じ気持ちを味わいたくてもう一度その会話を再現するらしいのです。
嬉しいとか楽しいとかその感情をもう一度味わいたくってしてるんだね、って知ってしまったら、もう無駄な繰り返しとかよだなって。
一緒に味わってみようって思う方に私たちの意識を変えるとそれはもう困りごとで悩みでも本当に何でもなくて、一緒に感情を味わって、生きてるって喜ぼうよ!って思えるね。
そういうことを今ふと思い出した。
感情が動くことが生きているってこと。
それは決してポジティブな気持ちだけではなくて、悲しい辛い苦しいでもいいんですよね。
どんな感情でも味わうこと。それが生きること。
これからまた次回もどんどんどんどん郁ちゃんの気持ちを教えてください。
そうしたらきっとリスナーの方もそれを聞いて
僕ってこういう気持ちだったんだとか
私こういう気持ちだったんだなって自分を認識できたり
また保護者の方とかも、うちの子こんな気持ちなんだと
職場の方とかね、お友達とかも、きっとこうだったのかとか、
気づきの木かっけとなると思います。