びっくりすることだらけの学校生活
さて、kindergartenを終えて、いよいよ一年生に進級の時期となった。初めて、一年間休みながらも、妹と一緒に修了することができて、私も、そして、本人も嬉しそうだった。
先生と相談して、来年度は、妹と隣同士のクラスにしてみることになった。
クラス編成まで、先生と保護者で相談し合えるって、びっくりしませんか?
保護者も、ボランティアで教室で手伝ったり、遠足の付き添いしたり、お父さん達も、朝の通勤前にスーツで旗持ちしてたり。
すごいところが、それらが全く当番ではないというところ。
したい人がする。
したくてしているのだから、しない人のことは全く気にもならない。
出来るときにする。
途中からだったり、途中までだったり。
一度なんか、遠足の付き添いができる人いないとき、
「今回はボランティアいないから、中止しまーす」
となって、みんなも、それは仕方ないわね、って感じで納得して、誰も無理しない。びっくりしたなぁ。
ピクニックしましょ!
というときにも、クラスの掲示板に
ジュース2本
紙コップ
サンドイッチ
チップス
などなど、先生からのリクエストが張り出してあって、持って来てもいい人がそこに名前を書き込むことになっていた。
細かいリストではないから、みんなで分担できるわけでもない。
持って来たい人が書き込む。
書き込まない人も当然いるが、誰も何も思いもしない。
さらに、量もその人に任せてあるから、足りるのかも余るのかも分からない。
でも、その人が持って来れる量なので、
多くても少なくても、みんなそれに合わせるだけ。
びっくりしたなぁ。
なんと表現したらいいのかなぁ。
もし、少なかったとしても、多かったとしても、その人に一任した自分の責任なのだから。
そう感じられて、大きいなぁ、と思った。
もちろん、アメリカにはアメリカの、日本にら日本の良さがあり、また、問題点もある。
ただ学校と保護者と、そして、保護者同士の関係においては、とってもオープンで、だからこそ、保護者も学校を創る一人としての自覚も大きかった気がする。
日本に帰って、日本の学校と保護者の関係性、また、PTAの活動など、ちょっと私には窮屈に感じられた。
IEPミーティング体験!
クラスが妹と分かれたら、
やっぱりしばらくすると、行き渋り、そして、学校によるストレスから荒れ始めた。
ほとんど病的にも、ただの癇癪とも違う気がして、
ドクターショッピング状態になっていた。
絵画セラピー受けてみたり、
カウンセリング受けてみたり、
目や耳が悪いからかと、と検査したり。
小児科の先生から勧められて、薬を試したこともあったけど、すぐに吐いてしまって、それ以来飲むのも拒否だから、これはこれでよかった。
小児科の先生からのお手紙を預かっていたのだが、私には大切なものという認識がなくて、学校に出さずにいた。
実は、これがとっても大切な手紙で、発達障害の可能性もあるから、検査をして、学校でチーム組んで対応して下さい。
というものだったらしい。
ドクターの署名入りの大切な手紙を、そうとは知らず、ずっと机の引き出しに入れていたのだ😥
誰からか手紙が大事だと聞いて、学校に提出してからの動きは早かった。
自費だと高額になる検査(多分、何らかの知能検査)を学校で受けた。
そして、その結果をミーティングで話し合うことになった。
ほんとに、訳の分からないうちに進んだのだが、会議室に夫婦で来るように言われた。
入ってみて、びっくり。
校長先生、教頭先生、担任の先生、スクールカウンセラー、セラピスト、そして、通訳。コーディネーター。たくさんの人たちが、娘のために集まってくれていたのだ。
そして、その会議は、その後も定期的に数回行われたのだ。
IEPプログラムを作成し、実践していくためのミーティングだったのだ。
IEPプログラムとは、individual education program 個人学習計画とでも訳したらいいのか。日本にも導入はされている。学校生活を送るという権利を子供がきちんと持つことができるように、困っている子に対して作られるプログラムです。
娘の今の現状。望む学校生活の姿。そのために、どんなことをしていくのか、そして、それを誰がどこで実践するのか、具体的にみんなで話し合うのだ。もちろん両親である私たちも一緒に話し合う。
時には、誰かと誰かの意見が違っていたら、とても激しく討論したりもして、真剣だった。そして、会議が終わって、一歩外に出ると、普通に笑ってバイバイしている姿にも驚いたものだ。
とにかく、私たちの娘のために、こんなにたくさん人が時間をさいて会議してくれて、そして、その方法がちゃんと機能しているか、定期的にまた同じメンバーで集まって話し合いが行われる。
ありがたくて、嬉しくて、本当に感謝だった。一人ではないという安心感ができた。
残念なことに、せっかくミーティングまでたどり着いたのに、夫の仕事で帰国することになり、そのミーティングも突然終わっしまった。
もっと体験してみたかったな。
とりあえず、ドクターの判断は、
娘は、もしかしたら発達障害の可能性もあるかもしれないが、異国の地で過ごしているということを考えると、診断することは出来ないから、帰国して落ち着いたら、また調べてみるように、ということだった。
そうだよねー、
帰国したら落ち着くよねー、
と思っていたけど、
思っている以上に、子どもたちは、5年の間にアメリカに適応していて、
帰国後、3人とも適応に大変な思いをすることになる。
懐かしいなぁ、という気持ちで帰国したのは私たち夫婦だけで、子ども3人は、知らない国に行くような不安だらけの気持ちだったようだった。今、思い返せば。
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