障害がある人と働く意味を考える集い報告③

ぷかぷか上映会とトークセッション

「ぷかぷかさんのいる町」と、「Secret of Pukapuka」という2本の映画の上映の後に、トークセッション。

そもそも私が高崎さんをお呼びしたいと思ったきっかけは、

「田中」:ぷかぷかでは接客の訓練はしない。専門の接客訓練をやってみたが気持ち悪くなった。という話から。私の娘が挨拶が苦手で、大きな声での挨拶や、目を合わせましょう、という就労訓練に疑問を抱いていた時だったから、心に強く残りました。

「高崎」:ずっと養護学校の教師をやっていた。パン屋を始めた時、接客マニュアルがあってその通りやる。その通りやれば素晴らしいことになると思っていた。しかし、マニュアルに合わせようとすると自分らしさがなくなり気持ち悪くなった。お客さんが気分が悪くならないように、自分らしさをそのままで接客してもらったら予想に反して受け入れてもらえた。自由に振舞う姿に癒されたという声が多かった。

・つじさんは朝起きてからすぐに喋り始める。止めると元気がなくなる。空気を吸うようなもの。彼らがありのままに生きられる世の中は私たちにとってもそう。息苦しい世の中でホッとする。近くに福祉事業所にパン屋があってきちんとマニュアル通りにやっている。仕事中に話さない、お辞儀の角度は何度、とか。でも、ぷかぷかに一番行列ができる。パンがおいしいのは第一の条件だが、店員が楽しそうに働いている。お客さんはホッとする。

「田中」:親の立場。私が知らないとことで娘が関係性を築いていた。町を歩くと、みーちゃんと声をいろいろなところでかけられる。娘は自分の社会を自分で育てていた。社会は捨てたものではない。信じていなかったのは自分だった。私たちが信じていなかった。

「高崎」:こうなければならない、というのは社会をダメにしている。だから、こういうところがよくない。囲わない、支援しない、という考え方で、守るから、攻める、へと方向を変えている。

「田中」:ヒップホップダンス。普通のダンススクールに行きたいと言って行き始めた。恐れていたのは親だけだった。先生は彼女をダンサーとしてしか見ていない。そっと娘を応援してくれている人がたくさんいる。思い切って始めて本当によかった。世界が急速に広まった。

「高崎」:ダンススクールの体験をSNSに書いて、社会に発信していくことが重要だ。38万+37万で合計70万人くらいのフォロワーがいる。ブログで発信していくことが大切。

戦略が必要。しっかりと戦略的に発信していかないと、「生産性」という論理には勝てない。

「田中」:できないことはできないこととして認めていくことが大切なのでしょうね。

「高崎」:できないことは自分の方が多いかもしれない。ゴボウの千切りの達人もいる。目の前で自分の作ったものが売れていく。おいしいものが売れていく。おいしいから買うという1点にこだわってきた。だからモノが売れる。ぷかぷかさんのモチベーションにつながる。好循環になる。福祉は初めから土俵から降りている。そのことを福祉という言葉でごまかしている。

「参加者の方」:放課後デイサービスに関わっている。肢体不自由児で3年生以下。ぷかぷかさんたちが楽しく過ごせるためには周りでサポートしている人たちの働きが重要。障害についていろいろなタイプの子どもがいる。どう関わったら良いか分からない。慣れているスタッフが関わっている様子を見ることで、障害児としてではなく個別の人として見ていることに若い職員が気づいていく。それが職場の雰囲気として熟成されてくると障害児も落ち着いてくる。利用している障害児がのびのびとしている。ぷかぷかさん達が楽しそうにやっているのは、周りで支えている人の苦労があっているのでは?

高崎)上から目線では見ないこと。支援をするために始めたわけではなく、障害者とともに生きて行くことに決めた。その姿をスタッフは見ている。管理する方向に行くのはよくないと思って止めさせたことがある。バラバラ感がいい。帰りの会、いい一日でしたか。途中で居眠りしている。視界も進行もぷかぷかさんに任せている。みんなが同じ方向を向いているのが良いとは思えない。曖昧でカチッとしていないので壊れた時は早い。

「田中」:バラバラが好きだ。

・(高崎)彼らがいなければ面白いことは何もない。ただの惣菜屋だ。物語が始まる

「参加者」:ダウン症の子どもがいた。障害者の描くアートに関心がある。描いた人たちがいて、この絵はこの人が描いたと紹介してくれた。自分の仕事を通して、お手伝いができないかと考えている。描いた人と描いた絵を見た時に関わりたいと感じた。家族の気持ちで障害者をいつも見ている。けんかはしないのか。彼らはみんな受け入れるからけんかはしない。彼らには壁がない。問題があるのは常にこちらかもしれない。障害者と接する機会が少ない。アートを通じて気づいて欲しい。生きにくい現在の社会を変えれられるのは彼らだろう。社会に向けて発信することをアートを通じてやっていきたい。

「高崎」:演劇アート。彼らがいて成立する。相模原事件では障害者はいない方がいい。いないと困る。やり続けると反応が出てくる。大きな紙にごちゃ混ぜで絵を描く。好きな線を書くことができないことに健常者はできないことに気がつく。ぷかぷかさんや子供達は描くことができる。障害者の価値はプラス。一緒に暮らすことの価値。彼らは街を耕し、街を創る。このような考え方はなかった。外国で上映したら、街を耕すという考え方に驚いていた。つじくんはしゃべることを止めさせる努力をずっと続けてきた。全く反対だった。

「田中」:娘との戦いのような時期もあった。いつそれが変わったのかは自分でもよく分からない。どこで変わるのかな?

・(高崎)おもらしを10分ごとにしてパンツを投げる。社長、天気が良い日に庭で大の字になっている。どっちが良い人生を歩んでいるのだろうか。もうパンツは履かなくてもいいのではないか。パンツを履いていても一緒に寝転んでいる幸せ。自分が自由になれた。どうでも良いことにこだわっていた。パンツを履かなければいけないと思い込んでいた。

訥々とお話しされる高崎さんの言葉は、どれも重く、経験と体験に裏付けされた確信があった。

お話をきいて、自分自身が楽になったという感想が多かったのは、広い高崎さんの価値観に触れて、自身の価値観も広がったからではないかと思う。

障害のある人と一緒にくらすことは社会を耕し豊かなものにするといろいろなエピソードを話す姿はなんとも幸せそうで、高崎さんは何と豊かな人生を送っていらっしゃるのだろうと、思いました。

以上、前半のトークセッションをかいつまんでご報告しました。