勉強しなさい、って言わずに育てたら、もうそろそろ勉強やめなさい、と言いたくなる子に育つよ。ほんとの話。

こんなに大きな木も、
育ちなさい、って言われて大きくなったのではないよね。

大きくなりたいから
自分で伸びただけ。

私は子どもも同じだと思っている。

言わなくても、
学んでいく。

人間って、
もともと学びたい心を持っている。

今知りたいこと
今面白いと思うこと

そんなものがあれば
言われなくても
探求する。

このアリの行列はどこまで続くのだろう

とか、

どんぐり剥いたら何が出て来るんだろう

とか、

そんなことのためになら、
子どもは時間も手間も惜しまない。
というか、時間も手間も感じない。

太古からの自然は
偉大な師だよね。

漢字や計算ドリルだけがお勉強だと
思っているお母さんには辛抱が必要かもしれないけど、

ゲームやパソコンだって、
先人の作り出したもの。
学びはある。

今面白いことを突き詰めることを
繰り返しているうちに、

それが何年も何年も経つと、

今度は
いわゆる学問に興味が出てくる。

だって、学問も
何年も何年も繰り返された先人の叡智の
積み重ね。
そりゃあ、面白いに決まっている。

興味には段階があって、

身の回りのもの、
具体的にここにあるもの、

手で触れることのできるもの
目で見ることのできるもの、
から、

抽象的なもの、
ここにはないものにも
心や興味が及んでいく。

そうなってきたら、
もう止まらない。

学んでも学んでも
尽きないくらいのものが
この宇宙にはあるのだから。

だから、
ちょっと待ったみて。
どんどん伸びる、広がる、深くなる
子どもたちの心を、興味を、信じて。

どのくらい?
そうね、
10年、15年、かかるのかなぁ。
もっとかもしれない。

待つ、と言うと苦しいかもしれない。
待ち遠しいかもしれない。

だったら、
感じてみよう。

子どもの心をそのままに。

今、何を見て、
何を思い、
何を考えて日々を過ごしているのかな、
って。

そして、
お母さん自身が
自分の心や興味を感じてみよう。

私の心は何に動き、
何を求めているのかな?

そんな生き生きとした学びをしている
お母さんの姿を見ることは、
子どもにとっても何よりの喜びだし、
きっと自分もそうありたいと思うはず。

だから、
勉強しなさい、
なんて言わなくても

いつか、
その時になれば、
その子に必要な学びをするのです。

そして、
その学びは、
一人一人違っているけど、
その子に必要な
ほんとの学びなのです。

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